大学の学科遠足!?その1
ㅤ7時30分、那古野駅に行くために起床。というのも、大学入学3日目、学科主催のフレッシュマンキャンプに参加するためだ。キッチンに置いてあったおにぎりを頬張りながらクローゼットから服を引っ張り出しそそくさと着替える。玄関のドアを開けると、この時期には珍しい粘りつくような暑さだ。足でドアを押さえながら上着を一枚、玄関に放り捨て、足早に階段を降りる。フレッシュマンキャンプというのは音の響きばかりで、馴染みのある言葉で言うと「親睦会」だ。留学生にも分かりやすいように、であれば「Freshman Camp」ではなかろうか。そんなことを考えながら最寄りまでの桜並木を歩く。老婆がうつむきながら歩道を竹箒で掃いている。満開の桜を見上げていられたのは先週までのことで、今年の桜は既に散り桜のスタートを切っていた。若い枝と葉ががあちこちから伸び始めている。翻って去年は寒波の影響で遅咲きだった。1分咲きにもかかわらず「桜の花も満開を迎え〜」と言った在校生代表が随分マヌケに見えたものだ。
ㅤ8時50分。那古野駅に着いた。平日の朝はやはり黒いスーツに四角い鞄と尖った革靴を装備した出征兵士が圧倒的に多い。駅の構内は彼らでごった返している。これがいわゆる社会の荒波にもまれるというヤツか。と気持ち調子に乗りながら流れに逆らっていく。行人を華麗に躱しながら西側の自動ドアを抜け受付場所の噴水に向かった。とにかく日差しが強い。通気性のあるキャップを被ってこれば良かったと少し後悔する。水の噴き出ていない噴水の周りには大学生らしき団体がいくつか集まっている。女性の99%が茶髪オア金髪、いわゆる量産型大学生だ。まったく見分けがつかない。というのは誇張だが、自分の学科の学生ではないことは分かった。早くも自分の学科の雰囲気を少しでも掴めているということなのか。観光バスの受付が終わって後ろを振り返る。明らかに初対面ではない顔触れがポツポツ。まだその程度だ。学科の男子は10人、女子はこれの4倍である。男子の6、7人は昨日までのオリエンテーションで話せるようになった。今日の目標は残りの男子と先生を覚えることだ。1号車のバスには自分を含めた同級生25名と先生3名、そして学部2年生の先輩2人が乗る。そして2号車にはもう半分だ。1号車には1年男子が4人。男子が女子を人数で上回ることはない。女子の名前と顔を一致させるのは到底先の目標になりそうだが、圧倒的威圧感をブロックしていくためには直ちに新たな脳内データベースを立ち上げた方が良さそうだ。
ㅤ11時頃。目的地=リトルワールド到着。車内で軽い自己紹介を済ませた。ペットボトルのお茶を受け取ってバスを降りる。リトルワールドは愛知県北部、犬山市にある世界の家と暮らしをテーマにした野外民族博物館である。入り口でもう半分と合流しガイドさんから次の予定を聞く。5000円分の金券を支給された。ゲートを通過すると、向かって右手に土産屋、左手には民族資料館がある。いずれもコンクリの四角い建物でひんやりとした空気が肌の上を通過する。そのまま真っ直ぐ、間隔がやや広めにとられた階段を上がる。その先で沖縄県石垣島の家が僕たちを出迎える。特別暑い今日にはぴったりの住居だが、そんなもの(失礼)には目もくれず学科第一の目的地である台湾農家に向かう。実際台湾と石垣島の距離は200キロメートルほどだ。しかし鼻歌を歌いながら適当に歩いているだけで不覚にも台湾エリアに到着してしまう。リトルワールドとはこのことを言いたいらしい。リトルでないのは建物と人間と食べ物くらいだろうか。なんとも都合の良いワールドである。
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起床時に全てのエネルギーを使い切った模様
ㅤ春の朝は夏秋冬の朝とはまた違ったベクトルで億劫である。なかなか掛け布団を剥ぐことが出来ない。窓の外から宅配トラックだろうか、扉を閉める音がした。もう一度、今度は勢いよく。布団の中の僕にも勢いが足りていない───のか。もがきながらうつ伏せになって、両手を目一杯広げる。エネルギーチャージ中。一気に肘を伸ばす。背中全体で鉛色の空気をまとった掛け布団を押し上げる。エネルギー解放。目覚まし時計の秒針が一瞬止まった気がした。いや気のせいか。身体に付いた生ぬるい空気を払い落としながら窓に近づく。心なしかカーテンを引く手が軽い。ここまでで今日使える全エネルギーのうち、3分の1くらいは消費したんじゃないか。不意に陽の光が額に当たる。デカイくしゃみがでた。これで残りの3分の2も使っちゃったかな。なんて。
(近隣の公園で撮影)
追記:重松清「エイジ」読了。雰囲気を寄せて書いてみた。
カメラを持って東山動物園へ!【尻フェス】
今日はひとりで東山動物園に行きました。
年パスユーザーなのでさっさと入場。
主に写真を取りに行くのですが、今回はただ撮るだけじゃなくて何か条件付きでの撮影がしたい!
その名も...尻フェス。(友人案)
ゾウ
プレーリードッグ
お顔はこんな感じ。
鼻の頭に砂が...。
カンガルー
サイ
キリン
アシカ
オットセイ
ゾウガメ
ニホンザル
アメリカバイソン
(((強靭な筋肉)))
完全に後ろから撮るとなんの動物か分からないので、うまく横顔を入れたり、同じ動物をフレーム内に入れたりと苦労しました。
子連れのお母さんが「ゾウさんこっち見てくれないね〜」なんて子どもに言ってるなか、自分はズバズバシャッターを切って、「こっち向いてくれたよ!!」なんて言ってるタイミングでカメラ休憩。完全に怪しい人
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ヒトの進化からみた、なぜ世界には豊かな国と貧しい国があるのか。
Eテレ ダイアモンド博士の“ヒトの秘密”シリーズ第8回のまとめ
なぜ世界には豊かな国と貧しい国があるのか
まず意外なのは、現在アフリカが貧しい国となっているということです。ヒトはアフリカでおよそ500万年前にチンパンジーから枝分かれしました。そのほかの大陸にヒトが出現したのは200万年前頃からです。ものごとを早く始めるというのは重要なことです。馬でも人でもスタートで先行した人が優位になりますよね。ではなぜ初めににリードしていたアフリカが現在最も貧しい大陸になったのでしょうか。
格差の原因
ダイアモンド博士は、原因が農業のはじまりの不均衡にあると言います。農業はその生産性から人口を増加させ、権力を与えました。もし農業が魅力的なら狩猟採集民は農業に移行していったはずです。しかしすぐ農業に移行できる地域は限られていて、そのタイミングには差がありました。
現在主に家畜とされている動物ビッグファイブは、
牛、豚、馬、ヤギ、羊
です。
動物が家畜化できる条件として、
- リーダーに従う性質
- 成長が早い
などが挙げられます。凶暴な動物では手なずけることが難しいし、小さな動物では生産性に欠けるからです。その他にも水牛、ロバ、ラマなど十数種類あります。しかし世界で数千種類いる動物の中で家畜化できたのがこれだけとは。かなり少ないですよね。
そして最初に農耕が始まったのは肥沃な三日月地帯と呼ばれる場所でした。
イランやパレスチナなどの三日月型の一帯のことを指します。メソポタミア文明が栄えたことで知られています。世界史の授業で、「土地の栄養分が多くてたくさんの作物が育ち、文明が栄えた。」と習いました。ですがこの肥沃な三日月地帯呼ばれる場所、実は肥沃ではないらしいんです(笑)。むしろ乾燥していて植物を栽培するのには適していない。ではなぜこの地域が最初に農耕に移行したのか。それは先程挙げたビッグファイブの存在です。この地域には家畜化しやすい動物が揃っていました。アマゾンの熱帯や、北の大地に比べると気候が穏やかだからでしょうか。
そのほかの原因として、人の主食である、米、麦、とうもろこしなどの穀類です。アメリカ原産のトウモロコシには品種改良に長い年月を費やしたし、ヨーロッパの麦の方がアジアの米より栄養価が高い。このような栄養価や品種改良のしやすさなどが農業の不均衡を起こしました。
そしてこれらの家畜化できる動物や改良して栽培できる植物は世界に均等に分布していたわけではなく、中近東、中国、ニューギニア、サヘル地域、西アフリカ、エチオピア、アメリカ東部、メキシコ、アンデスアマゾンの9〜10の限られた地域だけでした。
農業はどのように広まったのか
肥沃な三日月地帯は最初に農耕へ移行した地域でしたが、その後世界を支配したかといえばそうではありません。その代わり、他の地域に急速に広まっていきました。
農業は主に東西に広がりました。緯度が同じことから、日照時間や気候、病気などが似ていて、農業のノウハウが伝わりやすい環境だったからです。
しかし南北にはどうでしょう。
南へ行くと熱帯になりさらに南下すると寒くなる。季節や文化が大きく違うので、伝わるのに時間がかかった、あるいは伝わりませんでした。アンデス地方で栽培されたジャガイモや家畜のラマはメキシコやアメリカまでは伝わらなかったのです。発明や技術についても同じことが言えます。
農業が食料以外でもたらしたこと
初期の農業には他にも2つの利点がありました。ひとつは馬に関することです。スペイン人がアメリカに攻め込むためにメキシコや南米にやって来た時、当時南米で力のあったインカ帝国約8万の兵に対し、向かい打ったスペイン兵はたった160人ほどでした。しかしスペイン兵には61頭の馬がいました。馬は立派な兵器です。でもアメリカ大陸には馬がいなかった。これがヨーロッパ人がアメリカを征服した要因ひとつです。
そしてもうひとつは病気です。動物が家畜化したことによって動物の病気が人間に感染るようになりました。疫病です。これらの病気に打ち勝って、体内に抗体を持ったヨーロッパ人でしたが、アメリカ先住民はそのような抗体を持った人はいません。
つまり家畜の病原菌と馬がヨーロッパによるアメリカ征服を実現したということです。
最後に
貧富の差は、栽培できる植物や家畜化できる動物の分布が偏っていたこと、大陸の気候や形状の違いが原因であって、人種や民族の違いではないということです。
なぜヨーロッパ人が世界を席巻できたのか。それは農業に早く移行できたからです。しかしそれさえ自分たちで獲得したものではありません。肥沃な三日月地帯がもたらしたものを、受け継ぎ広めただけなのです。
7年前のこと。
ようやく寒さも衰え始めた3月11日。5限目の授業だった。給食中の活気は姿を消し、静まり返った教室の中で友人Kは朧げに、「ユれてる...?」と声を発した。周囲が目配せを始めた頃、大地が波のように揺れ、無限の井戸に落とされた。僕らはキシキシと唸る校舎と共に悲鳴をあげ、飛びつくような速さで机に潜った。大地は揺れを止めない。いきものの水槽が揺れ、揺れる向きが変わるたびに満たされた水は水槽の壁を登る。溢れた水は恐怖へ変わり、ゆっくりと視線を伝って空っぽになった胸へと流れ込む。大地の波に飲まれた僕らは一切の抵抗を許されなかった。
横浜の小学5年生でした。震災の日の午前、たまたま避難訓練をやっていて、2時46分すぎ頃、素早く行動出来ていたと思う。やっぱり怖くて泣いている子とか結構いたけどね。家に帰ると棚の上のパソコンが床に落ちていて、半分真っ黒になった液晶画面で情報収集したような。しばらくは余震が続き、家の中で船酔いしていました。ココロもカラダもヘンになっちゃうよね。
正直思い出したくないけど、やっぱり忘れるわけにはいかないなと思って毎年この時期、特にゴネゴネしてます。